9月18日

死ぬかも。
独りでパニックになったのは社会人1年目の11月だった。

 

同期の結婚式の二次会に参加した。知らない顔に囲まれながら、いつもよりもよく笑う同期を遠目で見つつ、ビュッフェ形式で出されていた料理やお酒をたくさん食べ、たらふく飲んだ。東京ではこういうカフェで二次会をやるのかとか、夜景って良いなとか、そういう都会感に浮かれた。あぁ楽しいぞ、と。このまま部屋に帰ってベッドで寝たいなんて思って気がする。

 

乾いた空気と、ほのかに暖かい陽射し、ゆっくりと吹く風。冬になる前の季節はとても居心地が良い。ただ、僕の体にはあまりよろしくないそうで、季節の代わり目の機嫌の良い日ほど、夜になるにつれて息がしづらくなる。ひゅーひゅーと喉が鳴るたびに、面倒くさいなもう、と思う。

 

ぜんそく発作が起こると、僕の場合は息が吐けるけど吸えなくなる。

 

その日も、帰宅するころには「今日は面倒くさそうだ」と悪い予感がしていた。発作が起こるとき決まってお腹の調子が悪くなる。携帯式の吸入器を片手に、3点ユニット内のトイレに駆け込む。みぞおちからイガイガしたモノがこみ上げる。「大丈夫、大丈夫、こういうときに焦るとダメ、ゆっくり呼吸しよう」と必死に冷静に考えようとするけれど、下腹部に鈍い痛みが走り、焦る。よくわからない悔しい気分が息を詰まらせて、なんで今日に限って、とまた悔しくなる。トイレから離れられない、ああ情けない。なんで今日なの、さっきまで良かったのに。

 

結局、トイレから這いつくばって出てきて、戸棚にしまってある家庭用吸入器と薬に必死で手をのばす。薬の瓶の蓋を開けたところで、瓶を倒す、空っぽになる。ここで、たぶん意識が飛んだ。

 

* * *

 

先日、代官山蔦屋書店での原宿シネマ企画イベントで放映された「127時間」という映画を見ながら、苦い体験を思い出していた。

 

今回のイベントのキーパーソンは、END ALSという団体の代表をつとめる藤田ヒロさん。ヒロさんが「命を感じる映画」というテーマのもとに、この映画を選んだとのことだった。ALSって何?という人は、一部で話題を呼んでいるアイスバケツチャレンジを思い出してもらうとピンと来る人も多いと思う。

 

「127時間」は、ひとり旅の途中で渓谷の狭間に腕を挟まれ、決死の思いで脱出したというある登山家アーロンの実体験を題材にした映画。遭難から救出されるまでの127時間に、パニックになって、冷静になって、悔やんで、自らを哀れだと責める。そして、絶望しながら、覚悟しながら「生きたい」という一心で行動を起こす。上映時間97分の間に何度も、生きるための理由ってなんだ?と問いかけられた。


 

 

全身の筋肉が日を追うごとに動かなくなる病気「ALS」と戦うヒロさんは、家族のため、両親のため、社会のためじゃない、自分がただ楽しい生活に戻りたいという理由で「生きたい」のだという。そのためにALSを根絶したいとも。ALSの治療薬は未だ発見されず、発祥原因もわかっていない。発症すると必ず死に至ると言われている。だから、全てを捨てて、自身の体を治験体にしながら、治療薬発見のために全てを尽くしているのだと言う。

DSC_0059

アイスバケツチャレンジには正直なところ、あまりいい印象を持っていなかった。一時的な話題集めに見える側面が受け入れられなかった。それに対する批判が起こることも予想できたし、それらが軽卒に見えていたんだと思う。
 
ただ、イベントで話を聞き映画を見た今、それでも良いのだと考えるようになった。一時的な話題でも良いじゃない、少しでも寄付金が増えるのであれば。炎上したって良いじゃない、病気について少しでも議論が生まれるのであれば。きっかけが生まれるなら、どういう形であろうといい。この際、手段は選ばない。死ぬことと引き換えになることなんて、無い。 

 

* * *

 

意識がとんだのは1分、ないしはもっと短い時間だったのかもしれない。次、オチたら終わるぞと言ったことを覚えている。薬箱の中身をとにかくひっくり返して、あがいた。予備の薬瓶が転がって出てきた。「予備で持っておきなさい、あんた、そそっかしいし心配やから」と渡された薬瓶だった。

ひと呼吸ずつ慎重に確かめながら、注射器で薬液を計り、吸入器のセットした。ゆっくりと体調が戻る。汗でびしょびしょになった体のせいで、ちょっと寒いと感じはじめる。冷たい空気がうれしかったなぁ。

 

死の淵に立たされたとき、体は「生きたい」と言う。死んでたまるか、と総力をあげて、あがく。あたまでいくら理由をつけたところで、体は、自分自身は針の穴ほどの隙間に見えた光にも全てを託すのだと思う。

 

それは、間違っている。だなんて、誰が言うのか。
広告を非表示にする